篠澤を、燻製にする。
2025年3月28日
爆煙アイドルマスター
毒にも薬にもならないけどドクスリにはなります。
2024年12月23日
※MIKUEC2024のセトリに言及します。ご注意願います。
いよいよ殺しにきたな。我々を。
2024年12月21日、22日の2日間開催されたファンメイドライブ「MIKUEC2024」を観に行ってまいりました。
https://mikuec.com/2024/ ←公式サイトです
東京都調布市にある電気通信大学のサークル「バーチャルライブ研究会」が主催するものです。
私もかつて部員として所属しており、2020年のオンライン開催にあたってテーマソング「ナナイロ」を作ったひとりでもあります。
私の代が退いた後もライブのクオリティは上がる一方で脱帽の繰り返しです。もう脱ぐ帽子ないよ。
当然の如く今回も度肝を抜いてきやがりました。
セトリや個々の演出に関しては他の膝崩れ落ち人間の感想を参照していただくこととして、私は元制作陣としてメタ視点の後方腕組み驚き屋をさせて頂きます。
今春に音楽的同位体ファンメイドライブである「KAFUEC」が同サークルにより開催され、そちらにも足を運んでおりました。
https://toshoall.com/blog/archives/810 ←当該記事です
こちらの記事で述べたとおり、当時の演出で驚いたのは「明暗の表現意図」を強く感じたところでした。会場横の壁へのプロジェクター投影を明かりとして用いてしまう発想は脱帽ものでありました。帽子ないつってんだろ。
今回はそのライブ会場全体の明暗への拘りがRGBの3次元に拡張されていると確信しました。
「この場面では会場をこの色にしたい」という表現意図を3公演累計5時間ビシバシと投げつけられ続けました。ディラッド、上面、横壁の投影映像制作および照明制御の全てが同じ方向を向いて制作せねばなし得ない演出の連続です。
そして極めつけに恐ろしいのは、制作陣による色の制御は我々のペンライトにまで及んでいたのです……
ストーリーパートが一段落したテーマソング前、「観客が思い思いの色でペンライトを振ってね」という旨の異例のMCが入ります。
結果テーマソング「未来色」では文字通り色とりどりの観客席が出来上がりました。
さながら我々のナナイロのMVで登場した観客席です。イラストレーション的表現だったものを現実のものにしたのが今回のライブです。なんだこいつら。
さらに語るとすれば、今回観客が1公演内でペンライトを全色に散らすように仕向けられたのは1回だけではありません。
大トリに用意された「Paintër」はクリプトンの6人での合唱なのですが、ここでは観客が自主的にバラバラの色でペンライトを振っていました。
観客の行動で完成するライブを期待通りの演出にするには制作陣が我々を手玉に取るしか手段がありません。
それをしたんですよ連中は。
尊敬とか畏敬じゃないんですよ。恐怖なんですよ。
2日目の2公演では日替わりキャラクターとして知声が登場しました。
私は知声の出番で客席は橙色に染まると疑いませんでした。
公式のテーマカラーもそうですし、ライブ広報からもそう明言されていたからです。
蓋を開けてみると、「大部分の白の中に橙と緑が差し色として入る」という知声そのものの色の客席となりました。
実際のところは投影されたモデルがやや白飛び気味であり多くの観客が視覚情報から白を選択したと考えられます。
緑について、知声楽曲でペンライトを緑にするヤバいオタクは存在するはずがありません。しかしMIKUECではペンライト不所持の観客用に緑色のサイリウムの配布があり、これが完璧なまでに差し色という具合の割合となっていました。
さすがに制作陣がここまで織り込み済みとは考えられず、偶然の産物と推測されます。しかしこの引きの強さを私は才能としか捉えられませんでした。
千穐楽の大トリさぁ
私から申し上げることはございません。脳を焼かれた他の方々の断末魔を参照願います。
https://x.com/hashtag/MIKUEC2024 ←ここから、ね
↑観客全員が思ったでしょう。
安心してください。5年前から伝統的にぼやかれている一文です。
以上、乱文失礼いたしました。奇襲アンノウンマザーグースで枯れさせられた喉をいたわりながら寝ます。
2024年10月6日
ご無沙汰とです、東証全部退場です。
ここ1年ほどハマっておりました私生活のガラパゴス化について、多少見せびらかせる程度にまとまってきたので小出しにしていけたらと思います。
コンセプトは「ちいこニスト」です。
小さい持ち物で身の回りを揃えつつ、生活における無駄な選択プロセスも徹底的に排除しようという考え方を生活の大部分に適用するという方針です。
ミニマリズムは物の「個数」を削減することで生活をコンパクトにしようという営みです。
対して私のは物の「大きさ」に着目しています。
物の個数を減らさずに生活を纏め上げるとなると、自ずと「小さい物で揃える」という発想になっていきます。
米国で流行っているらしいEDC(Everyday Carrying)と基本思想は同一です。
ただし本国のEDCはマルチツールにとことん拘る営みのようで若干雰囲気が異なります。
これはまだ達成には至らぬ完成形です。
「今日はこっちを持って出かけよう」という選択プロセスは思いの外色々なことを考えねばなりません。
外出目的、天気、気温、端末の充電状況エトセトラ…
この思考をスキップして小さい鞄だけヒョイと持ち出せば何も不自由しない、というのをひとつのゴールとしています。
小さい物で揃える際に陥りがちなのが「セットアップが面倒すぎる環境」です。
可搬性を追求したはいいものの、面倒で使わないのであれば意味はありません。チマチマした不用物が鞄を圧迫しているだけです。
「何かをしたい」となった際に、長くて40秒あれば準備が整う環境であることを重要視しています。
デジタルかアナログか、永遠に揉める話題です。
私は徹底して「運用が楽なほう」を選びます。
スマホでアプリを起動してポチポチするより楽であれば紙に手書きをする、といった具合です。
工夫次第で手軽さが入れ替わるのであれば工夫を取ります。
この工夫が楽しいタイプの人間であり、かつ面倒臭がりとあらば、省力化の工夫を突き詰めるのが理想の営みである、と思い至ったわけです。
具体的な環境を写真を交えて見せびらかすのは次回以降です。
よろ