創作

後方腕組みOB、叫びます。【MIKUEC2024感想】

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※MIKUEC2024のセトリに言及します。ご注意願います。

いよいよ殺しにきたな。我々を。

なんのこった?

2024年12月21日、22日の2日間開催されたファンメイドライブ「MIKUEC2024」を観に行ってまいりました。

https://mikuec.com/2024/ ←公式サイトです

東京都調布市にある電気通信大学のサークル「バーチャルライブ研究会」が主催するものです。

私もかつて部員として所属しており、2020年のオンライン開催にあたってテーマソング「ナナイロ」を作ったひとりでもあります。

当時はDance on Yakiudonという名義で作曲をしておりました

私の代が退いた後もライブのクオリティは上がる一方で脱帽の繰り返しです。もう脱ぐ帽子ないよ。

当然の如く今回も度肝を抜いてきやがりました。

セトリや個々の演出に関しては他の膝崩れ落ち人間の感想を参照していただくこととして、私は元制作陣としてメタ視点の後方腕組み驚き屋をさせて頂きます。

KAFUECでの「明暗表現」がRGBの3次元に拡張

今春に音楽的同位体ファンメイドライブである「KAFUEC」が同サークルにより開催され、そちらにも足を運んでおりました。

https://toshoall.com/blog/archives/810 ←当該記事です

こちらの記事で述べたとおり、当時の演出で驚いたのは「明暗の表現意図」を強く感じたところでした。会場横の壁へのプロジェクター投影を明かりとして用いてしまう発想は脱帽ものでありました。帽子ないつってんだろ。

今回はそのライブ会場全体の明暗への拘りがRGBの3次元に拡張されていると確信しました。

「この場面では会場をこの色にしたい」という表現意図を3公演累計5時間ビシバシと投げつけられ続けました。ディラッド、上面、横壁の投影映像制作および照明制御の全てが同じ方向を向いて制作せねばなし得ない演出の連続です。

そして極めつけに恐ろしいのは、制作陣による色の制御は我々のペンライトにまで及んでいたのです……

「ペンライトを全色に散らす」という偉業

ストーリーパートが一段落したテーマソング前、「観客が思い思いの色でペンライトを振ってね」という旨の異例のMCが入ります。

結果テーマソング「未来色」では文字通り色とりどりの観客席が出来上がりました。

本記事で内容には触れませんがテーマソングがこちらです。よいので聴け

さながら我々のナナイロのMVで登場した観客席です。イラストレーション的表現だったものを現実のものにしたのが今回のライブです。なんだこいつら。

さらに語るとすれば、今回観客が1公演内でペンライトを全色に散らすように仕向けられたのは1回だけではありません。

大トリに用意された「Paintër」はクリプトンの6人での合唱なのですが、ここでは観客が自主的にバラバラの色でペンライトを振っていました。

観客の行動で完成するライブを期待通りの演出にするには制作陣が我々を手玉に取るしか手段がありません。

それをしたんですよ連中は。

尊敬とか畏敬じゃないんですよ。恐怖なんですよ。

偶然で以て完璧を生み出す異能集団

2日目の2公演では日替わりキャラクターとして知声が登場しました。

私は知声の出番で客席は橙色に染まると疑いませんでした。

公式のテーマカラーもそうですし、ライブ広報からもそう明言されていたからです。

蓋を開けてみると、「大部分の白の中に橙と緑が差し色として入る」という知声そのものの色の客席となりました。

実際のところは投影されたモデルがやや白飛び気味であり多くの観客が視覚情報から白を選択したと考えられます。

緑について、知声楽曲でペンライトを緑にするヤバいオタクは存在するはずがありません。しかしMIKUECではペンライト不所持の観客用に緑色のサイリウムの配布があり、これが完璧なまでに差し色という具合の割合となっていました。

さすがに制作陣がここまで織り込み済みとは考えられず、偶然の産物と推測されます。しかしこの引きの強さを私は才能としか捉えられませんでした。

千穐楽の大トリさぁ

千穐楽の大トリさぁ

私から申し上げることはございません。脳を焼かれた他の方々の断末魔を参照願います。

https://x.com/hashtag/MIKUEC2024 ←ここから、ね

「流石にこれ超えるのは無理だろ…」

↑観客全員が思ったでしょう。

安心してください。5年前から伝統的にぼやかれている一文です。

以上、乱文失礼いたしました。奇襲アンノウンマザーグースで枯れさせられた喉をいたわりながら寝ます。

とっ散らかってる名義を整理する記事

創作

どうも、kayolabo801ことDance on YakiudonことリアルバーチャルYouTuber蛙こと月島ユウこと東雲とんぼです。

というわけで自身の名義がとっ散らかっているので整理します。

本丸「KayokoLaboratory」

大層に言えば個人サークル、実際のところ色々ある名義の一番大見出しにあたるのが「KayokoLaboratory」です。

こちらのサイトのドメインでもありますね。

又niconicoアカウントは名義ごとに複数のプレミアム会員アカウントを持つのが厳しいためKayokoLaboratory名義に統一しております。

個人サイトKayokoLaboratory

niconicoアカウント

動画制作者兼中の人「kayolabo801」

動画制作者としての名義が「kayolabo801」です。

一番最初に開設したTwitterアカウントのIDであり、その経緯から中の人としての名義もkayolabo801となります。

ポートフォリオサイト

Twitterアカウント

YouTubeチャンネル

Instagramアカウント

kayolabo801のアバター「月島ユウ」

昔から動画に「ユウ」として登場している白髪に赤ピン留めのキャラクターです。

kayolabo801動画におけるメインキャラクターでありイマジナリーフレンドです。

将来はバ美肉を目論んでいます。

身長172cmです。

作曲名義「Dance on Yakiudon」

こちらは作曲の際の名義となります。

以前はkayolabo801として作曲を行っていましたが名義変更を行いました。理由は後述します。

Twitterアカウント

SoundCloudアカウント

bandcampアカウント

作曲名義を分けた理由

かつてkayolabo801は「カヨコ」という名義を用いて動画制作をしていました。

しかし大学に入り作曲活動を始めようとなったときに同名義のシンガーソングライターがいらっしゃいました。そこから本名義をkayolabo801に改めます。

しかし暫くの間はカヨコと呼ばれることが多く、本格的に別名義を用意するに至りました。

Dance on Yakiudonのアバター「東雲とんぼ」

Dance on Yakiudonがアバターとして用いている茶髪犬耳のキャラクターです。

月島ユウとともにバ美肉を視野に入れていますが2キャラクターの差別化に頭を悩ませています。

黒幕「リアルバーチャルYouTuber 蛙」

2019年から始動して絶賛放置中のぬいぐるみをVTuber化するプロジェクトです。

動画を作りなさい。

Twitterを更新しなさい。

Twitterアカウント

YouTubeチャンネル

以上。

以上、kayolabo801はこんな感じでやっておりますのでよろしくお願いします。

「にじいろのうた」の歌詞はブチ切れながら書いた

DTM 創作 隙あらば自分語り

どうも、Dance on Yakiudonです。

去るMIKUEC2020、テーマソングである「ナナイロ」をななみつき氏と担当する光栄な機会を頂きました。めちゃめちゃ良い作品が出来上がってよかったです。

さて、MIKUEC2020に私はもう1曲提供しています。公式コンピ「ナナイロ」に収録された「にじいろのうた feat.音街ウナ」です。

現在YouTubeおよびniconicoに投稿されていますのでよろしければどうぞ。

MIKUEC2020のテーマは「カラフル」。にじいろのうたもそれにちなんだものとなっています。

それと同時に、にじいろとは相反して一色に染まり上がる日本のカルチャーに失望する内容でもあります。

米津玄師が嫌いである

まず、私は米津玄師の作る音楽が好きではありません。

彼の人格や経歴どうこうではなく、単純に彼の音楽が私には全く響かないのです。

だからといって私は彼の作る音楽が劣っているとは思いませんし「好き」という思いを否定するつもりはありません。

人にはそれぞれの好みがあり、時には相容れないことは分かっているつもりです。

しかし今の日本は私のような人間を許してはくれないようなのです。

大衆の評価は絶対的という傲慢

言わずもがな米津玄師は現在日本で最も人気と言っていいアーティストです。

彼の作る音楽は絶対に良い、批判する人はおかしい、何故なら大半の日本人に愛されているからーーーー そう考える人が少なからず居るでしょう。

彼らの言い分は結局「大衆が好むものは絶対的に優れている」という極めて自分勝手なものです。

そして嫌う人間を「世間と違う俺カッケー!!」などという厨二病として一括りにするのです。

世間で多様性が叫ばれる中、日本人は結局心の奥底で画一化を美徳としている、そんな気がしています。

そしてTwitterで「大衆の流行に乗れないのは『自分には本来持ち合わせている感受性も美的センスも存在しない』と自白しているだけ」という意見を目にし、遂に怒り心頭といったわけです。

そして歌詞に怒りをぶつけた

“君は今何色の絵の具で どんな生活を描こうとしてるの?”

私は多様性を色になぞらえ、歌詞を書いていくことにしました。

“違う人なら違う色 絵の具たちが混ざってカラフルになる”

人それぞれ違う好みがあるのだから、絵の具を置いたパレットは鮮やかに彩られているはずです。

“虹色に彩られた世界を 僕はさらに鮮やかにする”

自分の作品もまたひとつの多様性であり、他にない独自のものです。

“僕は歌いたい 自分の色を描き出すために”
“それが虹色の 一部分になれたらいいな”
“君の描く虹に 僕の曲が溶け込めるかどうか“
”分からないけれど 僕はずっと歌い続けるよ”

自分の作品を人に見てもらうというのは、自分の絵の具を他の人のパレットに乗せる行為です。

絵の具を受け取った側は気に入れば自分の色の一部にし、そうでなければ払い捨てればいいのです。ただ作品を作る身としてはやはり前者を望んでしまいます。

“だけど今周りを見渡せば 誰も彼もが同じ色を好んで”

今の日本にフォーカスします。

日本人は日本人という集団として同じものを好みがちであり、それを逸脱した者を笑い者にするフシがあると思っています。

“七色の虹の綺麗さは もう誰も覚えてない興味もない”

多様性とは名ばかりで、はみ出し者を嗤っているじゃあないですか。

“僕は一色に染まった世界に 自分色の絵の具まいて”

そんな中でも作品を通じてできることは自分の色を表現することだけです。

“僕は歌いたい 自分の色を描き出すために”
”それが虹色を また蘇らせられるように“
“君の描く虹に 僕の曲が溶け込めるかどうか“
”分からないけれど 僕はずっと歌い続けるよ“

若干の無力感はありつつ、自分らしく表現することを辞めたくはないのです。

”僕の声が届く人なんて ほんの一握りだ“
”僕が歌ったところで 何も変わらないけど“

特に私のような零細クリエイターともなるといくら表現をしたところでかなり低い水準で限界が存在するのが事実です。

”全ての人が 違う色を持ってるこの世界で“
”自分の色を描けるのは 僕ひとりなんだ“

しかしいくら零細であろうと「独自性」というものは全てのクリエイターに備わっているものです。

”僕の曲を聞いてくれて 『好き』と言ってくれる人が“
”一人でもいるなら 僕はずっと歌い続けるよ“

極端な話、自分の絵の具を一枚のパレットに垂らすことができればクリエイターとして成功だと思っています。それが何十枚、何百枚となれば当然嬉しいですがね。

自分にしか作れない自分の作品が人から評価される、それだけでクリエイターとしての私は幸せなのです。(向上心がないと言われればそれまでですが。)